僕が小学六年生の頃だったと思う。
数年に渡って、寝たきりだった祖母が死んだ。
それは真夏の事。
空の彼方には見事な入道雲。
しきりにクマゼミが鳴いていた。
そんな中で町外れにある病院へと向かった事を覚えている。
「そろそろ、危ないらしいよ」
母に連れられて、親類と一緒に今際の際のいる祖母を見舞ったのである。
その時に見た祖母の最後の姿は、とても大人とは思えないくらいに縮んでしまっていた。
幼き日に見た、ふくよかな祖母の体。
どちらかと言うと、肥満と言ってもいいくらいであっただろう。
その祖母の体が数年の寝たきり生活で、あんなになってしまうなんて。
勿論、その過程も何度かは目にしてきた。
それでも、祖母の最後の姿は子供心に衝撃を受けたのを覚えている。
『祖母は幸せだったのだろうか』
同時に、そんな事を思ったりもした。
勿論、元気な内は幸福であっただろう。
しかし、寝たきりになってからの数年間。
僕はそこに疑問を抱いた。
その数日後、祖母は帰らぬ人となったのである。
そして僕は思い出した。
幼い頃に事故で死んだ父。
その時には母や祖母、伯父や伯母、他の親類達も皆、哀しみの中にいた。
勿論、祖母が死んでも哀しくはあるのだろう。
でも、父の時とは何かが違った。
それは僕が幼かったから、だろうか。
いや、それだけではないだろう。
一つには、ある意味、大往生だった事。
此処、数年は寝たきりであったが、齢は90を超えていた。
若くして死んだ父とは違いが出ても不思議ではない。
父の死は残念さが全てであったのではないか。
祖母の死には少しだけ、めでたさの様なものもあったのかもしれない。
そして、もう一つ。
周囲の者達には安堵感の様なものがあった様に感じた。
伯父や伯母が介護から解放される事への安堵感なのか。
それとも、祖母が寝たきりという状態から解放される事への安堵感なのか。
或いは、その両方なのかもしれない。
糖尿病から白内障を併発して失明。
その後、数年間に渡っての寝たきり生活。
そんな祖母の介護を続けてきた伯父と伯母。
決して悲壮感を感じた訳ではないが、それでも苦労は尽きなかっただろう。
そう考えると、介護をする方も、される方も、果たして。
子供ながらに色々と考えさせられた。
『あんなになってまで生き永らえて本当に幸せなのか』
そして思った。
『自分は長生きをしたくはない』
漠然とだが、そんな風に思った事を思い出している。
目線の先には見事な入道雲。
しきりにクマゼミが鳴いている。
僕は未だに『生きる事』に疑問を持っていた。
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